2019.8.14

今日は一日中寝ていてネタもないので統合失調症急性期よもやま話を。私が入院していたのは関西青少年サナトリュームという病院だ。最初は隔離病棟で一般病棟に移って退院した。発病して入院して拘束されている間は、点滴の管を点滴を支えているポールにとにかく当て続けることに必死になっていた。ゲーム感覚で、クリアすると新しい点滴に変えて貰えると思っていた。そして、自分を女王アリと錯覚していて、点滴は、働きアリが集めた貴重なものだと認識していた。拘束が取れてまだまもないころ、私は夜になると全裸で月を見ながら回る運動を繰り返していた。(使命感という妄想に捕われ、そうしなければならないと思って行っていた)夜には男の看護師さんが薬を飲ませにきてくれる。その看護師に「私とセ〇〇〇して」と頼んだことは墓場まで持って行きたいレベルの黒歴史。たぶんその看護師さんはきっと忘れてくれていると思うが。もちろん看護師さんは困惑して「そんなことしたら僕捕まっちゃうからね」とやんわり断ってくれた。他にしたことといえば、部屋の中にあるシールというシールを剥がしてドアの窓に貼り付けたりもした。その他には入浴時、バスタブにつかることにものすごい罪悪感を持っていた。あと、他の患者さん(患者さんとは認識しておらず、人間最後の生き残りと思い込んでいた。看護師さん達は本物の人ではないと思っていた。)の鼻を触らなければならないと思いこんでいた。「鼻が苺になる」と言ったりして鼻にとにかく執着していた。あと食事の時には、種類を口で飛ばしたり、食後に歯磨きする時には、うがい用に置かれた水をわざと飲んだりしていた。部屋にあった呼び出しボタンを、破壊するつもりはなかったが、シールのように剥がしていくと、赤と青の小さなブロックが表れた。私は赤と青に特別なこだわりを持っていて赤は優しさ、青は勇気で、世界はこのふたつで構成されている、と思い込んでいた。なのでこのブロックが表れてからはブロックに語りかけたり、もちろん触りまくって、舐めたり、鼻〇ソをつけたりして、とにかくこの赤と青のブロックを特別なものに感じていた。時にそのブロックを触りながら大声で隣の部屋に呼びかけたら交信ができると思っていて大声をあげてみたり、(となりには私の友達であるK、もしくはAがいると思い込んでいた。)なにか仕掛けのようなものはないかつぶさに調べてみたりしていた。あとは何をしたかって?トイレットペーパーを食べたり、トイレの水を飲んだり、う〇こを投げたり(本当は食べようと思っていたができなかった)した。部屋の壁を爪で引っ掻いて剥がしたり(これは必然だと思っていた)剥がした後の壁の木の筋を爪で引っ掻き掬って食べたりしていた。見舞いに来てくれたお父さんお母さんにチューをせがんだり、お父さんにはおんぶをせがんだり、おばあちゃんには昔の童謡を歌ってとお願いしたりした。病院内を1周回る機会を与えられた時には、中庭で寝転んで土に還りたいと言ったり、水を汲んで中庭の植物に水やりをしなければならないと思い込んだりした。気さくに話しかけてきてくれた他の患者さんを友達のHだと思い込んで接したり、病院内にあった展示物の雪の結晶に全て手を触れなければならないと思ったりした。

色んな人が色んな差し入れを持ってきてくれたけど、1番嬉しかったのはプッチンプリンだった。おばあちゃんがよく持ってきてくれたのでいつもそれを楽しみにしていた。差し入れやバナナをお尻の下に隠したりした。あと、パンツを頭に被っていることもあった。光を異常に眩しがっていた。

けっこう酷いことやってるしだいぶ重症だったと思うけどなぜここまで回復できたかといえばやはりECTと呼ばれる電気ショック療法が1番効果的だったからだろう。これを行うまでは薬を投与されていたが一向に変化がなかったようだ。電気ショック療法は全身麻酔をかけられて行われるので正直私の中であまり記憶がない。麻酔がかけられる前にはたくさんの医師?がいてなんかオルゴールのような音楽がかけられていた、ということくらいである。あとは何をやったのかさっぱりわからないがこれで劇的に私は回復したのだから不思議なものである。

お母さんが言うには去年の4月に発症して今年の今1年で赤ちゃんから大人までの成長を凝縮した感じがすると言っている。